自分の物語を生きろ『美しい距離』山崎ナオコーラ
- 作者: 山崎ナオコーラ
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2016/07/11
- メディア: 単行本
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末期ガンで入院中の妻と過ごし、別れゆく日々の中で、感じた違和感、戸惑いや気付きを、夫が淡々とした口調で語っている。
アメトーークの読書芸人の中でおすすめされていたので読んでみたけれど、とても良かった。
死を見つめる人の心にそっと忍び込んで体感させてもらったような気持ちになる。
静かにじわじわ沁みてくる本。
誰かの物語を生きているのではない
主人公は「若くして末期がんの妻を看取る夫」として向けられる視線に違和感を覚える。自分は、自分のやり方で自分として自分の人生を生きているだけだ。と思っている。
私は果たして、そんな信念を持って自分の生き方や人の生き方を考えたことがあっただろうか。
人と接する時、その人の物語を勝手に想像していることが多々ある。
「子供がいない夫婦」と聞けば、欲しくてできなかったのかな、などと勘ぐり、「姑との2世帯暮らし」と聞けば、さぞストレスフルな生活だろう、と察し、「若い母親」と聞けば、子供のしつけは大丈夫かな、と余計な心配をする。
たくさんの先入観を人に当てはめる。その上で気遣いをしたり、特定の話題を避けたり、さも分かったような態度を勝手にする。
それだけでなく、私は自分の生き方さえも誰かの物語と合っているか気にしている。
こういう時はどうやって話すのが普通か、嫁として、母として、1人の女として、人間として、どうするべきか、当てはめることのできるひな型をいつも探している。自分の意見ではなく、どこかにある正解を、探りながら発言する。
妻を失うという状況で、自分の気持ちに正直に1つ1つ丁寧に処理していく主人公の誠実さを前にすると、自分の気持ちに対する不誠実な自分の姿勢に呆れるばかりだ。
もっと私は、私のやり方で私として私の人生を生きるべきなのではないか。
まだまだ死ぬつもりはないけれど、いつ死ぬかなんてわからない。こんな感じで過ごしているうちに人生は終わってしまうかもしれない。(まあそれはそれで、それこそが私の人生とも言えるかもしれないけれど。)
夫婦というもの
読み進めるうちに、夫と妻が交わす「来たよ」「来たか」という挨拶も味わい深く思えてくる。
誰の真似でもない2人だけの言葉。2人の重ねてきた時間や絆が滲んでくるような気がしてグッとくる。
全体としてもそこここに、それなりの時間を経た夫婦が醸し出す空気感が伝わってくる。死は切ないが、それすら2人の関係そのものとして静かに受け入れられた。
読後は夫婦というものの良さがじんわりと沁みてくる。
心に留まった1文
配偶者というのは、相手を独占できる者ではなくて、相手の社会を信じる者のことなのだ
眠れない夜に寄り添ってくれる本 『白河夜船』吉本ばなな
★★★★★
友達を亡くし、意識不明の妻を持つ男性と恋をする主人公の、疲弊した心に光が射していく様を描く表題作と他2篇。
3篇とも眠りがテーマになっている。
ブログ最初の記事ということで、まだ手探りなので馴染み深い本を選んだ。これは私が一番繰り返し読んできた本。一番好きな本は何かと聞かれたら本当に悩ましいのだけれど、なんだかんだでこの本を選んでしまう気がする。
疲れた時やイライラした時に読むと、心がしんとなり、読後に小さな灯りが灯る、そんな本。
静かな白い夜の果て
初めて読んだのはまだ10代で、「白河夜船」という言葉を知らず、著者が作った言葉だと思っていた。本の中身と題名のイメージがこの上なくしっくりきたのだ。
ほの白い夜の静かな川に小さな船が浮かんでいる。真夜中の闇ではなく、夜が終わろうとしている「夜の果て」の静寂に、孤独な船が小さい波紋をたてながらすーっと進んでいく。
そのイメージは、私が持っている眠りの風景そのものでもあった。
眠ることは人が孤独であることを浮かび上がらせる。私たちは他の誰とも眠りを共有することはできない。そしてそのことは、起きていても実際は孤独であることや永遠の眠りを連想させる。
船はただ一艘のみ。辺りは静寂に満ち満ちている。
そんな絶望的な孤独感を感じて眠れない夜、読んでみて欲しい。心がふっと軽くなり、穏やかな気持ちで眠りにつけるはず。
心に残った1文
『この世にあるすべての眠りが、等しく安らかでありますように。』